*第1走* 山内一徳(菊川市9条の会)

 9条の会のHPでリレートークを始める。いい事だと思っていたら、予想外に1番手を命じられた。

ちと緊張するが、これは我々の運動をこれからどうやっていったらいいかという事について色々と考える一種の共同作業であるだろう。したがって議論を活発化させる意味で、ある程度の片よりはご容赦頂きたい。狙うのは百花斉放百家争鳴だろうから。

 

 

9条運動とは何か。二本の軸がある。

一つは9条の価値について、様々な角度から検討と理解を深める研究と学習活動の軸である。

だがそれだけでは運動は進まない。理論的に正しい事が必ずしも社会の方向を決定しない不幸な事例は、それこそはいて捨てるほどあるのだから。 

 

 

そこでもう一つの軸である市民運動について考えてみたい。

日本の歴史の中で市民運動が大きな成功を収めた唯一の例は、60年安保闘争であった。

多くの市民が立ち上がり、岸内閣は倒れた。

 

それから半世紀、亡霊のようにその孫が日本の行く末に大きな影を落とそうとしてる。彼はおじいちゃんの怨念を想い、リベンジを考えているのだろうか。

 

それにしてもこの人ホントに知性を感じないねえ。何であんな人が総理なの???

 

 

 

運動として9条運動を考えるとはどういう事か。

マスコミ各社の世論調査をまとめてみると、おおざっぱにいって次のようになる。

まず左側に、25~30%の強固な護憲派がいる。それは何があっても9条を守る事は一枚岩であるといっていい。

 

して右側にやはり同じ位の改憲派がいる。

ただし改憲派は極右から穏健保守まで必ずしもまとまっていない。彼らの発言は、誰がどんな立場から、どういう視点で行われているかは、客観的に分析しておく必要があろう。

 

そしてまん中に約50%の中間派がいる。さらにそのまん中に全体の半数というラインが引かれている。

最終的な関ヶ原の闘いは、改憲をめぐる国民投票であろう。

古い友人が半分冗談で「ここで負けたら、俺は海外移住を考えるぞ」と言っていたが、笑えない冗談である。

 

そして今、この50%ラインをめぐって左右から激しい綱引きが起こっているのである。

アベさんのほぼ自滅的な政治で、改憲派は自分からずっこけているようなところもあるが、彼らは決して綱引きの綱を離さないだろう。

そして、結局のところ、すべての9条をめぐる運動はこの綱引き合戦に収れんする。 

  

 

  

では、約半分の中間派をどのようにしてこちら側に引き入れるか。

 

ひとつは、デモや集会を繰り返し、我々が多数であることを誇示していくという今までのやり方だろう。

このやり方は、ある段階においては大きな効果がある。そのことで思いだすのは、やはり60年安保だろう。

当時岸内閣が倒れた時に、ドイツの特派員が本国に打電したという記事を思い出す。

彼は言った。「日本人は禁断の木の実を食べた」のだと。

禁断の木の実とは何か。民衆が団結して立ち上がり、権力を倒した体験である。

そして、それまで我が国の歴史には、明確に、民衆の力で政治権力を倒した体験はなかっただろう。

 

そして彼はこう続けた「一度民衆がそういう体験を持つと、それはその民衆にとってひとつの歴史的原体験として深く沈潜しても、必ず将来において民衆が困難な状況に直面する時、再び復活する」と。

彼はこの原体験としての60年安保を「禁断の木の実」と呼んだのである。

 

状況は困難である。ともすれば投げ出したくなる。だが確かに希望はあるだろう。1度やれた事が2度できない理由はないのだから。 

 

 

だが、である。それだけではだめだろう。限界があるのだ。

結局は、このチャンネルは「論理とことばによる説得」である。そして人は言葉だけによって、どこまで変わり得るのか。言葉にはそういう力があるのか。そもそも力のある言葉とは何か。

 

こういう報告がある。私たち菊川9条の会で3000万署名を進めている中で、こういう例に出会った。

会員の友人である60代の女性である。大変熱心に署名を集めて下さり、家族から始まって、嫁いだ子供の家族、職場の人、友人、近所の人と数十名の署名を集めていただいた。「子供が自衛隊員だったら、戦争法案が通った時点でやめさせた。よくみんなやめさせない」という。

 

 

繰り返すが、極く普通の庶民である。

その彼女が小森さんの講演のCDは二度も聞いたという。

1回目は途中で眠くなり、2度目はわからない言葉が多くあって難しかったそうである。

 

そしてわかったのは9条3項に自衛隊を明記しようとしている事、明記すると9条の意味がなくなるということだという。なぜわかったかというと会員から聞いていたからである。(CDからではない)

そして「長いCDや文章はみんな読んている余裕がないと思う。今、何が問題なのか、その人の言葉で聞いた方がわかる」というのである。 安部政権への不満はあるので、機会ある度に誘っていきたいと、彼女の友人である会員は述べていた。

 

 

似たような話はほかでも聞く事がある。つくづく自戒の気持ちを込めて考えてみたい。

僕らは、主張する中身の正しさにのみ気持ちを傾けている内に、いつの間にか業界用語のような言葉でしゃべってはいなかったか。

 

ひとりよがりはいけない。慣れは安易さにつながる。相手の全体を受け止めて、本当に相手と繋がるような言葉を探しもとめていく努力を続けなくてはいけないだろう。

そういう意味実を込めて、自由な発想を大切にして、言葉による説得のチャンネル以外をも、私たち菊川9条の会は模索している。たとえば朗読劇の提案はその一つの試みに過ぎない。

 

 

 

  

それにしても皆さん、それぞれの場で、どんなやり方で相手を説得しようとしていますか。

 

その辺の苦労がこのリレートークに出てくればいいなあと願っています。

 

  

 

 

                    菊川市9条の会 山内一徳